お家で勉強!必ず打ちとける「目線の魔術」、「絶対にしてはいけない」携帯電話の使い方!

小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに抑えつけているからである。コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。
まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにするのである。そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれるのである。子供に対しても、友人に対するがごとくに話すことができるようになる。
そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。威圧的な大人ではなく、自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。
好感を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのです。

子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはりしゃがんでからにする必要があります。ゴルフ競技の場合において、対等な立場をつくり出すために、 ハンディキャップを利用するのと同じです。皆が平等な条件で楽しめるようにする考えである。特に身体に障害のある人に対する場合は、その点に考慮した言動をしなくてはいけません。
講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。もちろん皆から顔が見えるようにという配慮もある。しかし、押しつける話ではなく、 人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。そのほうが、話の内容がきく人の頭の中にスムーズに入っていく。それだけ理解の度合いが高まる。
人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。高ぶることを戒め、身を低くする心構えである。しかし、物理的に身を低くすることは意外に忘れがちな点である。平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする「並身低頭」を肝に銘じる。そこから優しい人柄が港み出してくる。

「絶対にしてはいけない」携帯電話の使い方!

どうしても早急に会って相談したいといわれ、何とかスケジュールを調整して会う約束をした。私の事務室にきてもらったのであるが、重要な用件だというので、私の直通電話にかかってきた電話も秘書にとってもらうように頼んでおいた。
二十分足らずで話は終わったが、その間、彼の携帯電話に電話が三回もかかってきた。そのたびに、人を訪ねて話をしている最中だから後で電話するといって切るのだが、せっかくの話が中断される。こちらも、一所懸命に相手の話に耳を傾け、適切な解決策ないしは推進策について助言しようと思っても、話の腰を折られるので本気で考える気が薄れてしまう。
重要な話をする場合は、携帯電話を持っていたら、そのスイッチを切っておくか、音が鳴らないように設定しておくべきだ。目の前で話をしている人と、その場に電話をかけてきた人と、どちらのほうに話をする優先権があるか。緊急である場合を除き、
目の前にいる人の優先順位が上であるのは当然だ。すなわち、かかってきた電話は割り込みをしょうとしている結果になっている。

電話は割り込みの常習者となる性格を持っているので、その点をよく考えたうえで使用しなくてはならない。
電話一本あれば、ある程度の事務所機能がある。誇張していえば、携帯電話をオンにしたまま人の事務室に入ってくるのは、ちょっとの間であれ、そこを自分の事務所がわりに使用しようとする意図でもある。許可なき聞入といってもよいそれに、重要な話だといっておきながら、割り込みの電話にも対応しようとするのは、ほかにもっと重要な電話がかかってくるのを期待しているからである、ともいえる。少なくとも私との話に集中して、何らかの成果を導き出そうとする熱意に欠けている。同じような相談を、ほかの人にも仕掛けておいて、その人からのよいニュースを待っているのではないかと勘ぐりたくもなる。目の前で携帯電話に二回も三回も電話がかかってくるのを見ると、二股も三股もかけているのではないかと疑う。このようなことは極めて噴末な問題だが、ちょっとした疑心でも、何かをしようとする熱意を大いに殺ぐ結果になる。
人と話しているとき、その人との話に集中しようと思ったら、とにかく携帯電話が鳴らないようにする。目の前にいる人に対して、話の内容は何であれ、全身全霊でぶつかっていく心構え、というより「気迫」が必要だ。そうすれば、一つひとつの出会いが、自分にとって、 少なくとも有意義なものとなり、 実を結ぶ結果になる確率も高い。